|
ま、そうなる予感はあったんだよね。
良くなるはずがない、って。
どれだけ否定したって、ボクにはそうとしか思えなかったんだよね。
もしかしたら、ボクがそう考えたから、このようになってしまったのかもしれないけど、
少なからずこうなる要素を持っていたんだと思う。
「アレのコトをわかって欲しい」といいながら、
「アレのコトは経験した人しかわからない」とも言う。
どっちなんだろう?
噂が広まるのだけは早い田舎で育ったためか、
ボクは精神科、という響きに強い抵抗を感じる。
「あの家の人、精神病院に行ったんだって」なんて噂されたら、
恥ずかしくてその場にいられない。
カウンセリングも同様。
周りの人に打ち明けられない、でも自分では解決できない悩みを抱えていること。
そんなのって恥ずかしい、と思う。
すなわち、悩みを抱えてカウンセリングに行く、それ自体が悩みになってしまう。
カウンセリングに行くくらいなら、一人で抱え込む方を選ぶ。
で、当然ながら、自分がキ印と気取られないように、気を遣って生活する。
周りの人たちから浮いてしまわないこと、それが田舎で生きていくためには必要。
まぁアレだ、日本人が裁判をあまり良く思わないのと一緒だね。
訴えたり訴えられたりすると、周りから注目されてしまう。
その好奇のさらされるのが耐えられない。
(ま、周囲はそれほど気にしてないのかもしれないけど)
いわゆるDQN(の語源)とか。
自分の人生の恥部を金に換えようとする人たちの気持ちがわからない。
そしてそれを正当なものとして主張しようというのもわからない。
そんな精神構造は理解したくない。
書こうと思ったモノとは違う方向に一直線で進んでしまったっぽいので、
今日はこのあたりで。
|
|